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プーアル茶を作る茶廠: 六大茶山

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敏腕女性工場長として名を轟かせた院殿蓉が2002年に独立し興した会社で、女性ならではの気遣いのある製品と、何より衛生管理に気を使ったことで知られているメーカーです。

六大茶山茶業有限公司はその名に含む六大茶山は一般に言われる六大茶山とは異なり「南糯」「倚邦」「班章」「易武」「邦威」「攸楽」の六茶山となります。これらは新・旧六大茶山のいいとこ取り+邦威山となります。

そんな六大茶山の成り立ちを語る上で院殿蓉を外すことはできません。
院殿蓉は1968年、雲南省の昭通という町で町でお茶の販売をする家庭に生まれました。とはいえ、彼女はお茶産業に従事するつもりもなく、大学では法律を専攻し卒業後は西双版納政府のもとで働き、そして大学時代の同級生であった段さんと結婚しました。この時彼女はお茶の会社を設立することになるとは全く思いもよらぬことだったでしょう。

俊昌號写真しかし、運命は彼女とお茶を結びつける準備をしていたのかもしれません。
彼女の夫となった段さんの祖父、駱英才は雲南茶の歴史を知る人にとっては知らぬ人のいないお茶の里、雲南省鳳慶県の魯史鎮にあり、そこで茶樹の栽培を行っており茶庄「俊昌號」を開設しました。さらにもう一人の祖父段逸甫も一家でお茶の栽培、製造をしており、彼の作る鳳山春尖は中華民国時代、最高級の雲南茶とされていました。共産党員である夫の転勤とともに彼女も生まれ育った昭通から西双版納州の孟海県へと移り住みました。
そこで彼女の人生に転機が訪れました。
省政府によって孟海茶厰の工場長に任命されたのです。孟海茶厰と言えば雲南で最も長い歴史を持つお茶企業。その工場長という大役を30才という若さで突如背負うことになりました。しかし、彼女が任命されたとき、孟海茶厰はまさに危機的状況、膨大な茶農家への借金となけなしの資金。彼女は困難な状況を打破しなくてはならなくなりました。
工場長となった彼女は考えに考え抜き大きな決断を下しました。それはそれまで作っていたプーアル茶以外のお茶の生産を止めることでした。それは今では当然のように言われる「選択と集中」でした。

孟海茶厰はほかに並ぶものの無いお茶と称される紅印圓茶をはじめ、いくつもの歴史的傑作茶を生み出したことで知られています。孟海茶厰にはそんな歴史と実力がある。そして折しも1998年は香港や台湾でプーアル茶ブームが起こり始めた年。彼女はプーアル茶の深さとその可能性の高さを知り持ちうるすべての力をプーアル茶に注ぐことにしたのです。

彼女が改革を初めて3年後の2001年、孟海茶厰は黒字化を果たします。

しかし、すべてがうまく行っているように思われた翌2002年、彼女は孟海茶厰を去り、六大茶山茶業有限公司を設立します。このニュースは大きな話題となり、様々な憶測や噂が流れましたが彼女は多くを語りませんでした。
新しい茶厰である六大茶山は女性らしい気遣いの感じられるオリジナリティーのある製品を生み出しています。それと同時にプーアル茶の歴史をふまえたこだわり製品も作り続けています。2007年には夫の祖父の開いた俊昌號の名を冠するお茶を製造し、2008年には鳳山の名を冠するお茶も製造しています。

クリーンルームトレーサビリティーの写真 しかし、六大茶山の名がここまで知られるようになったもう一つの大きな理由は徹底した衛生管理です。2007年にオープンした鳳慶工場に訪れると「質量決定成敗(質が勝負を決める!)」の大きな文字がまず目に入ってきます。
これは六大茶山の質に対する大きな決意と言えるでしょう。実際工場の中に入ると作業する部屋はすべてクリーンルーム。各部屋の入り口には作業員達が遵守すべきルールが書かれていて非常に徹底した衛生管理がなされていました。そして更なる安全性につながる使用茶葉のトレーサビリティーも実施されつつあります。
現在は工場に問い合わせなくてはいけないとのことですが、将来的にはウェブで全部確認できるようにするのだと工場長の方がおっしゃっていたのが印象的でした。

そんな六大茶山は成長を続け、年間3000トン(2006年)も生産する一大茶厰となりました。

プーアルカフェでは六大茶山のこだわりの安全なお茶をお求めやすい価格にて販売しております。

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