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プーアル茶を作る茶廠: 国艶茶廠
六大茶山として悠久の歴史を持つ攸楽山、その麓に湧き出る清水が国艶茶廠のお茶を作りだしています。そんな国艶茶廠は2004年に創立された若い茶廠です。しかしその女社長、薫国艶はすばらしいキャリアと経験を持つプーアル茶のスペシャリストで、ついに自分の会社を立ち上げた薫国艶はまさに叩き上げといえるでしょう。
1995年、薫国艶は雲南農業大学を卒業しました。当時、お茶産業に未来はないとされ、彼女のように学歴が有り、将来の開けている人物がお茶産業で働くというのは当時の感覚からすると考えられないことでした。そんな中、彼女は働く先として孟海茶廠を選びます。それは彼女がプーアル茶のもつポテンシャルを信じていたこと、そして何よりお茶を愛していたからです。
そうして彼女はプーアル茶を生み出す秘境、孟海県へと移り、プーアル茶人生を始めました。当時の孟海地方はまさに辺境の地で、そんな不便なところで好んで働く人は少ない場所でした。しかし、1995年当時の孟海茶廠の有様はひどい物でした。クオリティの低いお茶と莫大な借金。そんな中彼女は品質管理の技術者として働き始めます。同僚達がプーアル茶産業の将来を憂いて止めて行く中、彼女は精力的に働き、頭角を現します。 1997年にはその働きを認められ孟海茶廠の品質管理部門長に任命されます。そしてその翌年、孟海茶廠の品質は上がり、お茶の品質大会でNo.1の座を獲得します。
こうして地道に彼女が実績を積み上げている1998年、後の六大茶山の社長院殿蓉が孟海茶廠の工場長としてやってきます。それから孟海茶廠は更なる変革がはじまり彼女の人生も加速して行きます。薫国艶は院殿蓉の改革を裏方として支えました。そして2000年になると彼女の働きは州政府にも認められ、品質技術監督局の技術監督にも任命されます。そして、孟海茶廠改革の総仕上げである2001年、薫国艶は院殿蓉に次ぐNo.2である副工場長に任命されます。そうして2001年孟海茶廠は黒字化を果たします。
翌2002年、院殿蓉は孟海茶廠をやめ、六大茶山有限公司を創立します。そして彼女は右腕である薫国艶を引き抜き、副社長に据えます。
そして薫国艶はお茶の味は水が作るという考えのもと2004年攸楽山の麓に国艶茶廠を創立します。特に彼女は回甘(プーアル茶を飲んだ後からやってくる甘い後味)は水が作るという信念を持ってお茶作りにあたっています。その後彼女は真摯な経営と、実直なお茶作りを続けています。そして2007年、長年の働きは認められ、彼女はプーアル茶作りの最も偉大な10人の一人に選ばれました。
プーアルカフェではそんな国艶茶廠のお茶をお求めやすい価格にて取扱っております。